"Wonder Girl" Chapter 3

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 アクション映画の主役になって、銃をバンバン撃ちまくったあとみたいだ、なんて思ってちょっと可笑しくなった。ボクの視線の先では、パイプ椅子の脇に細長い紅茶の空き缶が何本も並んでいた。ボクは薄い湯気を口から立ち上らせた最後の一本を置くのと同時に喋り終えた。おじさんは黄色いビールケースを引っくり返した上に座って、ときどき茶々を入れながらも、ずっとボクの話を聞いていてくれた。お話っていうのは、聞き手がいなければ意味の無いものだし。

「そう。これで話はおしまい。だから祐一君を好きなわけは、すごく簡単なことなの。たった一人、ボクのそばにいてくれたから。ただ一緒に――――ボクが立ち直るまで、ずっと一緒にいてくれたから。もちろん、恩に感じてとかそういう意味じゃなくて、気付いたときには、もうボクの……何て言うかなあ、その、生き方みたいなものの中に祐一君がバチッとはまっちゃってたんだよ。あ、そうじゃないかな。祐一君に隣に居て欲しいと思うボク、が自然な状態になっていたっていう方が正しいかも」
「ふうん。それで腐れ縁ねぇ」
「そうそう」 ボクは笑った。「ほら、『どこが好き?』って聞いて、それに答えると、じゃあ、その『どこ』についてもっと良い人が居たらどうするのかな、って思うでしょ? そんなことで悩むよりも腐れ縁でナットクする方が、ずっと幸せだし、楽しいと思うんだ」
「あゆちゃん恋愛講座だな」
「うぐぅ、そんなつもりじゃ……」

 おじさんは豪快に笑い声を上げた。

「そ、そんなこと言うなら、おじさんのも聞かせてよ」
「ん? 俺の何をよ?」
「自分にも何か、特別な体験があるようなことを言ってたじゃない」
「そうかぁ?」
「そう!」
「分かった、言いましたよ。しょうがねぇなぁ。いや、別にお嬢ちゃんみたいに凄いんじゃないんだ。ちょっとした、ただのイメージだな」
「いいよいいよ。それで?」
「それでなぁ。…参ったなぁ、本当に話すのか?」
「……話すの」
「誰にも言うなよ?」
「うん。約束するよっ」

 溜息をついた。

「それじゃ、ちょっとこっち来てみな」

 おじさんに命じられるままに、ボクは屋台の手前に立った。ちょうど、普段のおじさんが立っている場所だった。ボクは鉄板の隅に置かれたフライ返しを手にとって、くるくると指で回した。

「ほう、左利きかい。それはともかく、そうだな、今、広場の中に何人いる?」
「ええっ、数えるの? うーん、12人かな」
「そんなもんだな。それで、あいつらに一つ共通点があるのが分かるか?」

 ボクは広場にいる人を一人一人、服装から仕草から、ありとあらゆることを観察して、その中に何かピンと来るものが無いかを探した。子連れの若いお母さんや、休憩中のサラリーマン、ちょっと得体の知れない感じのお爺さんなんかの間にある共通点を探すのは難しかった。ボクはふと、こんな風に通りすぎる人達を眺めていた時間を思い出した。ボクは首を横に振った。おじさんは、それじゃあ、その話をしてやろう、と言った。

「俺はガキの頃からこの商売をやってたんだ。学校とか大嫌いで、近所のテキヤの親分のところに転がり込んで、手伝いをやったり、ちょっといざこざがあると飛んでいったりしてな」
「い、いざこざって?」

 おじさんは不敵な笑みを浮かべた。ボクは、食い逃げを働きながら今まで生きてこられたことを神様に感謝すべきなのかどうか迷った。

「十七、八の頃から一人で屋台に立つようになった。段々と一人で切り盛りできるようになって、そりゃ楽しかったな。今と違って、同じぐらい若い血気盛んな仲間も沢山いた。知り合いも増えたし、商売も悪くなかった。自分が一人前になった気がしたよ。だがなあ、何でか知らんが、ある時唐突に『俺は何やってんだろう』と思うようになったんだ」
「何かキッカケがあったの?」
「いんや、何にも無かった。いや、あったのかも知れないな。鈍感だから気付かなかったのかも知れん」
「ふぅん。あれかな? バーンアウトって言うのかな? 最近、大学の掲示板に書いてあったよ。いわゆる『燃え尽きちゃう』っていうのなんだけど」
「ああ、なるほど。うーん、それとは違うんじゃねぇかな……。それにしても最近は便利な言葉があるなぁ。昔は『燃え尽きました』なんて言ったら、『何フザケてんだ、てめぇ!』って殴られただろうよ」
「だよねぇ」 ボクは苦笑した。
「何だろうな。とにかく、屋台出して、たい焼きやらタコ焼きやら作ること自体は、別に嫌いになったわけじゃない。もっと根っこの方のことだな。……な? だから話したくなかったんだよ。こんな青い話」
「あーもう、今更言いっこナシだよ。続けて、続けて」
「よし。じゃ、これからがヤマ場だぞ――――それで、俺はその頃、ぼーっと屋台に立ってたわけだ。鉄板をはさんで向こうっ側に、もう何万って数の人が歩いてる。お嬢ちゃんも、一度やってみるといいな。世の中には、結構いろいろな人間がいるんだぜ。見て分かるぐらい」
「うぐぅ…。諸般の事情により、よく分かります……」
「そうか、そりゃ偉い。そうだな。色んな奴がいたよ。それで、ポケーっと見てる内に、突然分かったんだな。そいつらの共通点、と言うか、そいつらと俺の違いが。俺は鉄板のこっち側の人間で、向こう側には行けないってことがさ」

 ボクは思わず開きかけた口を慎重に閉じた。おじさんは話し続けていた。

「今からすりゃ、何クダらないこと考えてたんだろうな、と思うぜ、まったく。でも、当時の俺にとっちゃ、それは耐えがたいことのような気がしたんだ。そりゃ時々、客は来るさ。それで、たい焼きを袋に入れて渡すだろ。その時、相手の目を見るんだ。大抵、こっち向いてない。それを続けてるうちに、俺は本当はその場にいないんじゃないかと思った。違うだろう、これは人間らしい人生じゃない、ってな」
「そ、そう…。それで、どうなったの? 何かしたの? ちょっと仕事を止めてみたとか」
「いや、結局何もしなかった。どう考えても、俺はこれで食ってくしか無いからな。……それに、その内にあいつが来たし」
「あいつ?」
「女房さ」
「えええっ!?」

 からん、とボクはフライ返しを取り落とした。考えてみれば当たり前のことだけど、ちょっと衝撃的なニュースだった。おじさんは苦笑いの表情を浮かべる。

「何だ、その『えええっ!?』は。女房がいて悪いか。ちなみに中学生の息子もいるぞ」
「え? え? そ、そうなの?」
「そうなんだ。で、まあ、この悩みは一時の気の迷いだったと…」
「うぐぅっ、そんな3mmぐらいの落差のオチで逃げるのは許されないよっ! …あ、分かった! きっと、その奥さんとの出会いが特別だったという話でしょ。そうでしょ?」

 おじさんは、ちぇ、と言って苦笑いをし、ひげを撫でた。

「ちきしょう、そういうことだよ」
「えー、なになに。どうだったの?」
「だから、別に本当に大したことじゃないんだ。いつだったか、暑い夏の日さ。俺はでかい神社の境内でかき氷を作ってた。縁日で、みんな水風船だの、金魚だの持って……。そこに一人、飛びっきりの上玉――いや、失敬、美人がいたんだよ。一人で。何してんだろうと思ったな。参道の脇の、ちょっと登った所にある松の木に寄りかかって、ぼんやりと人ごみを眺めてた。真っ白い肌してよ。そのうち、すーっと消えちまうんじゃねえかと思うような風情だった。その時、いきなり目が合ったんだよ」
「わぁ」
「普通の感じじゃなかったんだよな。もう、今まで考えてたもやもやなんて、全部吹き飛ぶような感じだった。向こうもこっちも無いってな。俺はもう、商売なんて放り出して、その女のところに行って、ダメ元で話しかけてみた――で、まぁ、上手くいったわけさ」
「あはは。良かったねー」
「良かったのかどうかは知らないけどな」

 おじさんはクールを装った。へーん、いまさら遅いですよーだ。おじさんだって『らぶらぶ』なんじゃない。

「今だから言えるんだが、あれは男女の恋なんかじゃなかった。いつの間にかすり替わっていたけどな。覚えてるんだよ、その時のイメージを。俺の場合は風景じゃなかった。何て言うかな、風みたいなものだった。堅気の連中は地に汗して働く。俺はその横っちょを、すーっとすり抜ける。でも時々は、そこにやり取りがある。あるいは、みんなが風なのかも知れん。そうそう、七人の侍って映画見たことあるか? サムライだと思えば、気分もいいだろ」

 刀を握る格好をして、えいやっとボクの頭の上に振り下ろす。ボクは真剣白刃取りのポーズで応戦した。
 そうやってふざけていると、すみません、と声がかかった。どうやらお客さんらしかった。おじさんは慌ててボクの横から、5分ぐらいで焼けますから、と説明した。ボクはコートの裾を払ってバッグを取った。一つ、大きなのびをする。背中の骨がぽきぽきと鳴った。

「あははは。何だか、ものすごく祐一君に会いたくなったよ。電話しちゃお。それじゃ、おじさん、ボクはもう行くね。お話、とても面白かったよ!」
「おう、分かった。また来いよ。――それから誰にも言うなよ!」
「あははは、分かってるよ〜」
「さっきのあゆちゃんの話、カレシに言う気かい?」
「え? うーんと、一応」

 おじさんはニヤリと笑った。

「たい焼きおじさんの恋愛講座。少ないチャンスは確実に演出せよ。もう目いっぱい脚色して喋っとくといいぞ。ネタがある内が花だからな」
「うぐぅ…寿司じゃないんだから…」
「それから、餞別にこれをやろう」
「え、い、いらないよ…あははは」
「なーに、遠慮するな」

 おじさんは、話の途中で真っ黒に焦げてしまっていたたい焼きを3つ、袋に入れてボクによこした。どうにも断れなくて、ボクはぶつぶつ口の中で文句を言いながらも、それを受け取った。
 おじさんに別れを告げると、商店街から駅へと向かう、いつもの道を歩き出す。
 初雪はやっと降り止んだみたいだった。街はうっすらと雪化粧をして、「やっと落ち着いたよ」と言わんばかり。一気に気温が下がって、雪の表面がキラキラ輝いていた。携帯電話を取り出し、ボタン操作を解除して、短縮の1番。予想通り留守番電話サービスに回ったので、いつもの場所で待ってます、という内容を、山ほどのおふざけと共に一分ぐらいかけて吹き込んだ。通話を終えると、携帯電話のアンテナをあごに当てて目をつぶった。そして、心の中をふらふら漂う輪郭のない幸せの感覚に、とっぷりとひたった。



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