"Wonder Girl"

Epilogue




 おかしいよ。

「おい」

 絶対ヘンだ。何か間違ってる。

「こら」

 ボクは認めないよ。こんな展開、あるわけないよっ。

「そこのうぐう」
「うぐうじゃないよ、名前で呼びなさい!」
「っていうか怒ってるのはオレだ」
「知らないよっ、何で怒るんだよっ、わけわかんないよっ!」
「はあ、もういいよ、どうせお前はそういう奴だ」

 祐一君が大げさに肩をすくめた。子供の頃から変わらないその仕草に、ボクは無性に腹が立った。

「そういう奴って、どういう奴だよっ。何さ、すっかり分かった気になっちゃってー。ボクのことなんてなんにも知らないくせに!」
「言ってくれるじゃねえか。こっちはお前の知らないことまで全部知ってるんだからな。寝相の悪さから尻のホクロの位置まで――――」
「うわ! うわ! ななな何言ってるんだよこんなとこで信じられないちょっちょっとちょっとーっ」
「……あんたら、痴話喧嘩は人のいないとこでやってくれる?」

 突然背後から氷のような声がかかって、ボク達は同時に振り向いた。そこには見慣れた女の子が、薄緑のセーターにジーンズというラフな格好で突っ立っていた。ちょうど大学の正門から出てきたところのようだった。

「げ、香里クローン」
「誰がクローンか! 篠宮真希、英語風に言えばマキ・シノミヤ。趣味の悪いイジメをしてる暇があったら、人の名前ぐらい覚えなさいったら」
「同じイジメっ子同士、許してくれ」
「そうね。まあ、許さないでもないわ」
「許さないでよっ」
「それであんたの寝相が何だって?」
「うわーっ」

 真希ちゃんは、慌てふためくボクを見て大笑いした。ボクは精一杯の恨めしさを目線にこめて呟いた。

「うぐぅ、ボクの『ボクの涙ちょちょ切れそうなお話で祐一君を今さらメロメロにするよ計画』が……」
「ん? 何だって?」 軽く顔を傾けて聞き返す。
「気にしないで…」
「気になるけれど、気にしないでおくことにする。メロメロの相沢君なんて興味無いし」
「思いっきり聞こえてるじゃないかっ」
「あははは」

 ふと視線が合うと、彼女はにっこり笑ってボクの耳元に口を寄せた。

「大丈夫。彼はすっかりあなたのものよ」
「あ、う…」 ボクは上手く言葉が思いつかなくて、人形のようにうなづいた。
「素直にしたらいいじゃない。一緒にいられるんだから。ねえ?」
「何を内緒話してるんだ?」

 蚊帳の外になった祐一君が文句を言った。真希ちゃんは体を起こすと、ボクを押しやった。

「お・ん・なのカイワ。はい、もう返すわよ」
「無駄だと思うけど一応確認しておくと、ボクはモノじゃないんです」
「はいはい。それじゃ、またね。あゆちゃん、いつでも研究室遊びに来てね。もう私が支配してるようなもんだからさ」
「行くな、あゆ。実験材料にされるぞ」
「失礼ね。おもちゃにするだけよ」
「どっちも失礼だよっ。もうっ」

 ボクと祐一君は、『ご飯ご飯』と駆け去っていく彼女を見送った。昔から変わらない、少し色の薄い綺麗な髪が背中で揺れていた。結局のところ、ボクはあんな風に強くはなれないんだろうな、と思うと、ちょっと悲しいけれど、それ以上に彼女を誇らしく思えた。

「小橋君ね、またフランス行っちゃったの」
「おいおいおい、すげえなぁ」
「すごくなんてないよ。真希ちゃんの気持ちも考えて欲しいよ」
「そりゃそうだけどよ……」

 ボクは傍らに立つ祐一君の顔を見上げた。意識して、半歩近寄る。

「そうだね。やっぱり、すごいね」

 祐一君は微笑んで、ボクの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「俺はどこへも行きやしないさ」



 小料理店でお鍋をつついた帰り、お腹一杯の幸せ気分で夜の道を歩いていると、街灯の光に照らされながら、白い結晶がぱらぱらと落ちてくるのが見えた。祐一君は片手を目にかざして、さも鬱陶しそうにもらした。

「あー、また降ってきやがった」
「本当。きれいだねー」
「…お前も、相変わらずだな」
「そうだよ? そうじゃないとこもあるけどさっ」
「ん? どっか退化したか?」
「成長! 成長したのっ。退化じゃないよっ」

 俺はまたてっきり…、とかなんとか酷いことを言っているのを上の空に聞きながら、ボクは白いかけらが次々に舞い降りてくる空を見上げた。ふと、考えた。それは、普段は絶対に話題にしないようにしていることだった。軽々しく口に出来ないこと、下手に扱えばボク達の心と人生を粉々に打ち砕く力を持ったものだった。けれど、あれから7年目の初雪の日に、ボクに訪れた初めての雪のことを話すのは、悪くないように思えた。

「祐一君」
「これ以上退化されたら、さすがに俺にも体面がな――あん?」
「体面がどうしたの? ま、いっか。あのね、祐一君。考えたんだけど、『奇跡』ってさ、何だろう?」
「それは、シリアスな意味でだな? さて、何だろう。昔、考えた覚えがあるんだがな。結論なんか出っこないっていうのが結論だったような気がするぞ」 祐一君は冷静に答えた。
「そうだよね、ボクもそう思う。だけど……一つの仮説としてね? ほら、因果関係ってあるでしょ、因果って。奇跡ってのは、その『果』しか無いんじゃないかな、ってボクは思うの。理由とか、原因が無いんだよ。だから、奇跡を見た人は意味を見つけようとするんじゃなくて、意味を作り出そうとしなきゃいけないと思うんだ。出来るだけ、価値のあるものを」
「そうかもしれないな。分かるような気がする……。でも、どこからその話が出てきたんだ?」
「うん。7年前……本当の奇跡が、たった一つだけ起きたの。一つだけ。でも、ボクはそのまた7年前にも一つ、奇跡を見ていたような気がする。一つの奇跡は、ボクの心から最初の痛みを消してくれた。もう一つの奇跡は、ボクが本当に望んでいることを教えてくれた」

 祐一君は黙っていた。ボクは先を急いだ。

「ボクは二つの奇跡から、沢山のことを教えてもらったよ。現実を見るってこと――――夢の中で祐一君と出会ったとき、ボクは夢を見ていたんじゃなくて、現実を見ていたんだよ。気付いた? ――――、思い出との付き合い方、楽しく生きるってこと、大切なもの、大切な人……。だけどね」

 ボクは祐一君の前に立った。

「そういうことは、全部、最初から自分の中にあったんだよ。ただ、ボクが見つけられないでいただけだった。気付かないでいただけなんだ。本当のことっていうのは全部、ここ――」 ボクは自分の胸に手を当てた。「それから、ここに――」 そして、その手を祐一君の胸に当てる。「――あるんだよ。何もかも。なのに、ボクは気付かなかったんだね」
「だけど、気付いたじゃないか。お前は見つけたんだよ」 祐一君は言った。「これからだって大丈夫さ。俺とお前でさ。二人でいれば、一人がもう一人に気付かせてやれるだろ」

 胸が一杯になって、もう叫びたくなるほどだった。

「だから大好きなんだよっ」 ボクは飛びあがって、祐一君の首根っこに抱きついた。
「これだからボクには祐一君しかいないんだよっ」





"Wonder Girl" Fin.
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