http://homepage1.nifty.com/hirokata/wwwbbs/ へのレス〜。
激
し
く
ネ
タ
バ
レ
うーんと、まず日本人は、ラストから読み解けるという特権を持っています。 ネオがデウス・エクス・マキナ(だという言及が劇中のどこにも無いような……) の前で触手に持ち上げられるシーン。あれを見ると、マトリックスシリーズ全体が、 壮大なナウシカのパロディであることが分かります。
#ほら、こわくない。
#その者、蒼き衣をまといて、金色の野に降り立つべし。
##「言い伝えはまことであったか」は、仲間内ではキーワードで、
##意外な事実が発覚するたびに呟かれたものです。
すなわち、システムである腐海と王蟲もとい、マトリックスやセンティネルとお友達になる話です。 要するに、トリニティを捨ててマシンと仲良くなった(男女の愛を捨て、エコロジーに走った) わけで、とものように「ひどすぎる!」と叫びたくなりますが、 そこをぐっと堪えて飲み込むと、あとは簡単かと。
#捨てたのかどうかは微妙な判断。
まあ、映画やシナリオとしてひどいことに変わりはないんですが(^^;
>精神を開放し、自らを信じ、世界を1と0で成り立つ単純なソフトウェア・コードとして
>見ることができれば、人間は何でもできる
これはReloadedで否定され、Revolutionsでダメ押しされましたよね。 システムは、より強い・広い・自由なシステムに飲み込まれるだけだということで。
西洋的哲学は、不自由な人たちが自由を夢見て始めたわけで、幾ら夢見ようが、 どんな力学を仮定しようが、現実にはそんなものは得られないよ、 という結末を迎えたのだと思っています。
逆に東洋的世界観というのは、別に不自由でもいいじゃん、楽し/美しければ、 みたいなものかと思っているのですが。
#金色の光の世界を見るネオが「この美しさを君に見せたい」みたいなことを言いますね。
#トリニティは、更にその先に約束されるはずの(暗喩としてのエコロジカルな)美を目にして死んでいく。
その意味では「選択をしたから」という台詞には私はあんまり納得がいかなくて、 どちらかと言えば「だってその方が楽しいもん(だから選んだ)」が本音だと思います。
あの映画の最大の皮肉は、宏方さんが書かれたとおり、ネオが考えたことを 他に誰一人理解していないことだと思います。 ザイオンの人々の無邪気なこと。 そこが「不自由さ」の表現、プロダクションへの皮肉かとも思います。
*A1
お友達だから。というストーリー的辻褄。
*A2
センティネル=マトリックス=アーキテクト=神の境目は無し。システムだから。 よってA1による。
*A3
昨日のボスキャラの手助けはジャンプのお約束。手助けの内容は不明。
*Q1
A2への疑問。
「マシン」と「ソフトウェア」は本質的に違うものだが、考慮されているのだろうか。 著作権とか(笑)
*Q2
スミスとネオの対称性は、単にストーリー的な都合なのだろうか。
*Q3
スミスは滅びうるのか?
*Q4
ネオは残ったのか?