戯言こぉなぁ

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ここでは、「なぜ書くか」「2次創作とは何か」「SSとは何か」について私見を述べています。 断っておきますが、どこからどこまで当たり前のことしか書いてありません。 私は突飛な結論に飛びつくのが嫌いなのです (と、わざわざ意識するのは、実はそういう飛躍をするクセがあるからなのですが(笑))。

何か意見がありましたらBBSか、メールでどうぞ。


▲ なぜ書くか

私の場合は単純。 書かずにはおれないから。 そして、読者に楽しんでもらうため。 究極的にはそれ以外の理由は存在しない。 自己表現自己解放自己確認共感思想的主張世界を救う などの理由は当たらない。 わずかに、自己鍛錬という目的はあるかもしれない。 感想を貰うことは真の目的ではないが、貰えれば本当に嬉しい。 大抵は自分の意図が伝わっていないことに逆に悩まされるけれど、 それでも充分嬉しい。

内容にはこだわっている。そこには確かに一定のスタイルがある。 しかし、それを他人に伝える事は、私のSS制作作業の第一義ではない。 何故か。

私はそもそも自分を信用していない。 その立場に立って自分を信用している。

つまり私は単なる一人の人間に過ぎないのであって、 今さら、他人を啓蒙できるような、 何らかの優れた思想を提供できる可能性はゼロである。 まかり間違って、それがゼロでないように思えた時は、 自分は狂ってしまったのだと思うことにしている。

しかし同時に私は、 自分がそれなりに常識的な人間で、 それなりの観察眼を持っており、 大いに精進を積めば、ひょっとすると、 そこそこの表現力も持ち合わせるようになるかも知れないと思っているし、 そう希望している。 だから私は自分の信念に従って書く。 別に、それを流布して教祖になろうというのではなく、 そうでないと自分が書いた意味が無いからだ (こうした一種の傲慢さは作家に不可欠であると思う[1999/12/30])。 そして、人に楽しんでもらうために書く。 この二つの欲求は私の中で綺麗に同居している。

結局、出来る事しか出来ない、なるようにしかならないのだ。 私は楽観的で、ほとんど馬鹿である。 書く事に対して疑問を持ったり、悩んだりということも全く無い。 そんな悩みは、単なる脳の分泌物バランスの揺らぎに過ぎないと知っているから。 書きたければ書き、やる気が失せたら止める。 もしくは時間が無くなるまで。


▲ 2次創作とは何か

書き直し中

▲ SSとは何か

こうした2次創作作品の特性を踏まえた上で、 それと直交するようなSSの定義、 SSの特性はどこにあるのかを再び考える。 ただし、予想される通り、非常に曖昧な定義にしかならない。 それは御承知願いたい。

まず、虚構の文章であり、物語である(場合が多い)以上、 「小説」というカテゴリとの差異が問題になる。 誰もがSSは小説じゃないと思うものだ、と私は願っているが (そうでないなら、小説はSSでない、と)、 個々の技法は小説から流用されるパターンが多くみられる以上、 叙述力において小説との差は(可能性として)無いと考えられる。 また、長さ、構成方法に関しても、SSには制限は無い。 SSが"Short Story"なのか、"Side Story" なのか知らないが、 既に中編小説並の長さを持つSSはゴロゴロしているし、 きちんと構成されたSSも、まれに存在している。 よって、小説、私小説カテゴリとの(可能性における)差異は存在しない。

内容においては、文学的作品と言えるものもあるし、 ゲリラのアジテーションだってSSになれるだろう。 随筆めいたものはなかなか見当たらないが、 実体験を混入させるSSは大量にある。 詩、散文詩、詩的散文などは、常にSSの第一線である。 一方では、今では相当に崩れて来たジュブナイル小説も真っ青になるような、 大崩れのギャグ作品なども多い。

と書くと結論は推測されると思うが、私の考えるSSの定義は "何でもあり"に尽きる。 その"何でもあり"のあり方は、 リアルタイムに市場の特質を反映して、 その時々のSSの中核的スタイルを変えて行くと考えられる。 1999年秋のKey本掲示板の傾向の変動、 さらに仮掲示板への流れの中の変化など、その変化は非常に速い。

それは、極めてThe Internet的であると言える。 自由を履き違えた野放図さや、個人が簡単に自分をさらけ出してしまう安易さ、 そうしたInternet的なスタイルを虚構の文章に持ち込んだものがSSであると言える。 言わばinternet newsやmailing listの文章表現版である。 従って、常にメインストリームは流動し、小さなコミュニティは偏在、偏向する宿命であり、 その様相には、過去にInternetにおけるalternative cultureが経験して来た 法則全てが当てはまると思った方が良い。

私は当初、個人としての読者と世界を持った小説の持つ、構築された虚構世界のリアリティを通した大人な関係に比べ、 SSは、どこまでも読者にすり寄って行くのだと思っていた。 読者の思考を巧妙に封じ、作者の感情を垂れ流すものだと。 だがそれは、単にその当時(実は今も)そういうSSが多かったというだけであって、 大量のSSの中にしばらく身をおいてみる内に私は、 SSはもっと広いものだと思うようになった。 広く、柔軟で、流動的で、いい加減で、攻撃的で、生々しい。 そうした文化の接合点そのものがSSなのだと思う。 やっぱりInternetだ(ーー;


▲ 2次創作としてのSS

保留中。 Comming not so soon(笑)


▲ 比較文化論